「ノラや」
先日ご紹介しましたBS2「私の1冊」の最初の頃にありました
内田百閒の「ノラや」を読み終える。
この本は、昭和31年から45年迄に「小説新潮」に連載になった
「百鬼園随筆」の中から14タイトルを、
1冊の単行本にした本です。
内田百閒先生がふとした事から、迷い込んだ子猫と暮らす様になるのだが、
1年半経った3月27日にふらっと家を出たきり帰って来ない。
その日から、始まるノラへの追慕と追跡の日記が、
綿々と綴られている。
何月何日
「それらしい猫が今家の庭に居るから、見にいらっしゃい。」
と言われて行ってみるも、尾が少し短くて違う猫だった。
何月何日
「この間家の庭で死んでいた猫を、庭に埋めたがお宅のノラに
似ている。掘り起こしてみますか?」
と電話があり、家内がKを連れて行って掘り起こしてみたが、
みな迄掘らなくても、尾が違っていた。
こういう事が書き連ねてある。
または、「ノラが今如何して居るだろう」と思うと、
帰りたくとも、帰れないでいるのではないかと思うと、
可哀想で仕方が無い。
と言って涙が出るのをどうしようもない。
とこんな風で、読んでるのも段々退屈で苦笑いも出てくる。
しかし、これが半分も過ぎる頃、私はこのリズムが気に入ってしまった。
そして、この単純な文章の中から、内田百閒先生の愛すべき
キャラクターが浮き彫りにされ、尊敬の念さえ頭をもたげて来る。
こういう言い方は失礼千万であるのだろうが、
私は内田百閒先生を、存じ上げないのだから許して下さい。
私もウチの「なお」が家を出た事が有って、ポスターを貼ったり、
近所を名前を呼んで探した経験があるから、
この先生の気持ちは良く分かる。
ノラを探してるうちに、そのドサクサに家に入り込んで来たのが、
ノラそっくりのクルで、この猫は6年余り共に暮らすが、
大分老いていたらしく、先生と奥様に手厚く介抱されて亡くなり、
庭の支那鉢の後ろにミカン箱に入れられて葬られる。
その後、その辺りから首に付けてやった鈴の音が、
聞こえて来る。
「クルや、お前か・・・」
その呼びかけの優しさ。
5年前「もも」が亡くなった直ぐに、この本に出会えなくて良かったと思う。
私も泣いて泣いて読めなかっただろう。
内田百閒先生は、決して猫好きではない。
ノラとクルが好きなのだと記してある。
正直な気持ちだと思う。
それほどに、ノラとクルとは、対等な思いで暮らしたのだろうと思う。
親しかった肉親を亡くした様な気持ちなのだと思う。
先生は、それっきり猫を飼われなかった。
もうそんな余分な情も力も1人の人間には無いと言う事か?
「ノラとクルに使い果たしたよ。」と言う最上の愛の告白なのだろう。
この内田百閒先生をモデルにした映画「まあだだよ」が、近々BS2の
黒澤明没後10年の特集で放送されます。
映画は原作を超えるか?!
楽しみです。
by magic-days
| 2008-12-23 20:31