土曜日の昼下がり
娘と散歩に出て、夏に見つけた薊のお化けの様な花の野菜が
上の写真の様に枯れたまま切らずに置いてあった。
足元に青々とした葉は残っていた。
何だか前衛的なオブジェみたいで面白い。
帰宅してお茶を戴きながら、
未消化だった「羨ましい」と言う事に付いて娘の意見を聞いてみると、
河合隼雄先生の書いてあるものを、娘の考えとして発展した事を聞かせてもらった。
「羨ましい」と思う気持ちは、自分が求めているものを
すでに持ってる人に対して起る感情である。
そしてその道を極めるのが困難であるので、
その人を羨ましいと思う事で逃げる事を正当化している。
と言う事らしい。
『私は若い頃は羨ましいと思った事もあるが、今は全く無い。
私の現在の生活の表面だけを見て「羨ましい」と思う人が居たら、
とても心外だし、たとえそう思える部分が百歩譲って有ったとしても
それは、私が苦労の末に得たものであるから簡単に「羨ましい」と
言って欲しくないよ。』と言うと、娘は
『今は「羨ましい」と思う事がないのは、
お母さんには今何かに成りたいと言う願望がもう無いからよ。
つまり年を取ったからよ。(ちょっと遠慮がちに)』
『確かにお母さんには、今更何かに成りたいとか思わない。
だけど、今迄に得たものを高めて行きたいと言う気持ちはあるわよ。
じゃ、今からでもおかあさんが、一流の写真家に成りたいと思ったら、
先を行く人を「羨ましい」と思うのかしら?』
『さぁね、おかあさんはすぐに納得しちゃうから、
「自分はこんなもんでいいのよ。」って、
そんな人は人を「羨ましい」と思わないだろうけど
一流にも成れないでしょうね。(苦笑)』
娘は何時の間にか成長した。
彼女は彼女なりに、ハードルを超えたのだ。
自分の力で超えたものは、彼女を大きくし強くして行くだろう?
(2枚目の写真は、散歩の中で見かけた大形ゴミ?!
3枚目は、窓の外を通った飛行船。1人約10万円だそうだ!)
by magic-days
| 2007-11-03 21:50