「雲南の妻」

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「雲南の妻」を読了。
作者である村田喜代子さんは、私と同じ年そして同郷である。
’87に「鍋の中」で芥川賞や2、3の文学賞を受賞されている
実力派である。(知らなかったが・・・

この本は、実に面白くためになる。
結婚とは一体何なのか?と、はてな?はたな?である。
そして所変われば品変わると言うが、全くだと思った。

他所の国には、計り知れない事情があり私達の常識なんか
ぶっ飛んでしまう様な解決の仕方で生き抜いている土地があるのだ。
堅い頭を振りかざして、大手を振って歩こう物なら物笑いの種になる。f0086169_222103.jpgf0086169_22212429.jpg
雲南は中国の南端にあり、東京と雲南の真ん中よりちょっと東京よりに
北京があると言う感じらしい。

この頃は中国の中央政治の目も余り行き届いていない僻地であり、
お茶と藍染めの里で、主人公の夫はその買い付けの交渉に
乗り込んで来た切り込み隊長的存在の勤人である。

それに同行した主人公が見た世界は、夢物語の様な不思議な所であるが、
そこで生きている人間は、貧しさと戦いながら自分らしさを
確立して女同士が助け合いながら部落を守って強固な砦を築き
大地に両足を立てて力強く生きている。

結婚とは彼女らにとって、一番生活し易い合理的な方法で
女同士の共同生活である。
男は女の実家に通って来るが、子供が出来ると男の家に行くも
止まるも自由だが、止まる者が多い。

この土地の産業は、お茶であり藍染めである。
この2つの担当は女が受け持っている。
女は男に頼らずとも生きて行けるのだ。
(一昔前キャリア・ウーマンが旦那は要らないが嫁さんが
 欲しいと言っていたのを思い出した。)
殆ど自給自足で現金を必要としないので、
お茶の生産の秘密を守る為他所ものを村に入れない。
お茶は彼等にとって自分達の薬であるのだ。
その為に主人公は主人の通訳で現地人の娘を娶ると言う
日本では考えられない経験をし、少数民族とも認められない
小さな村の中に入り込む事が出来る。
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この本を読んで、やはり結婚の意味が違い過ぎる事。
それは快楽や種族を残す目的では無い事。
全ては貧しさから来ている事に、なんとも言えない悲しさがある。

この民族が何かの加減で大金持ちになったら、普通に男女の
結婚の形になるだろうか?

茶摘みをしながら娘達が
「私はお嫁に行かないわ
 無理に行かせても帰って来る。
 代わりに鶏をやってください」と
明るく歌う所が何とも複雑な思いがする。

近くて遠い国中国。
それでもハッとする程中国と日本は似てる所もあるのだ。

(手提げは、アフリカ、南米の女性が作った物を現地交渉で購入
 生産者を支援するグループ「People Tree自由が丘店」で購入しました。
 左はフェルト、右は絹です。どちらにも刺繍が施されている。)

[追記]

最近お知り合いになったReiさまが去年雲南の旅をされた時の写真が
掲載されています。御興味を持たれましたら飛んでご覧下さい。
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by magic-days | 2007-09-22 23:30
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