名残り雪(1)

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 「蜩の記」   葉室 麟     祥伝社
大分県羽根藩(架空の藩)で郡奉行を勤めていた戸田秋谷が側室との
不義密通の汚名を受け、家譜編纂と10年後の切腹を命じられた。
その7年後からこの本は始まります。
家譜とは、その藩が幕府に対して先祖が如何に貢献したかを
記録した物で、いざと言う時藩を守る重要な物でした。
(これに秋谷は「蜩の記」と名付けていました。
 自分の先の短い命を蜩に例えたのか?
 それともその日暮らしの日々を掛けたのか?)
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その様な大事な物を、罪人に任せると言う所に、
藩主の複雑な心模様が現れている。
藩主は側室と秋谷の不義等信じていなかったのかも知れない。
1言秋谷が弁明すれば、許された事だったのです。
しかし秋谷は、心が通じていると信じていた藩主が下した命を聞いて、
秋谷の方から、見切りを付けたのだと思います。
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家譜編纂は、誰にでも出来る事でなく、自分しか居ないと言う自負が
あったと思います。
それは何よりやり遂げたかった。
秋谷が見据えている物は、出世とかではなく、藩民上下無い幸せであり、
藩の未来に続く安泰だったと思います。
藩主が10年後と決めた切腹も、勿論編纂の終了にかかる年月と
その頃不義密通の真実も判明し、切腹しないで済み秋谷も
10年と言う期間を与えた自分に、感謝するとでも思ったのでしょうか。
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それは、見込み違いであったのです。
人間性の違いだったのです。
事の起こりは、1人の男の出世欲に始まり、男と女の武士と領民の人生を
大きく動かして行ったのです。
しかし秋谷は、その様な事にブレず己の武士として人間としての勤めを
全うしたのです。
今この日本に居てくれたらと思わずに入られませんでした。
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秋谷の傍で暮らす息子と、巡り合わせで共に寝起きし、編纂を手伝う修三郎に、
秋谷の精神は受け継がれ、羽根藩の安泰を暗示している。
今の時代に出るべきして出た本だと思います。

直木賞、おめでとう御座います。

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横浜市の三つ池の掻い堀りが、今年初めにありました。
井の頭かんさつ会からも、沢山の有志が助っ人として参加しました。
その様子がクリックして頂ければ、見る事が出来ます。
私も拝見して、如何に大変な事かと実感しました。

井の頭池もやっと何年か先にやる訳ですが、
此処に至るまでのかんさつ会、特に外来魚捕獲研究や餌やり自粛運動等を
地道に続けて来られた方々の功績は、大きいと思います。
本当にお疲れさまでした!
これからも宜しくお願いします。

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私の友人のveraさん(ブログ「今日もいい日♪」)が
通っている写真教室の写真展が
三鷹駅近くであります。
お近くの方ちょっとお寄り下さい。
素晴らしい写真が並びます。
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by magic-days | 2012-03-01 00:10
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