雪籠り (1)

f0086169_16221830.jpg

      「下山の思想」     五木寛之    幻冬社新書
「いま、未曾有の時代がはじまろうとしている。」で始まるこの本の
目次を見ると、
     下山しながらみえるもの。
     新しい物差しをもって。
     第二の敗戦を生きる。
     当たり前を変える時。
     黒でもなく白でもなく。
こう言う見出しが、目に付く。
五木寛之は言っている。
f0086169_14314166.jpg

『私達は、既にこの国がそして世界が病んで居り、急激に崩壊へと向かいつつ
 あることを肌で感じている。
 それを知らないふりをして暮らしている。
 感じないふりをして日々送っている。』

心の奥底で恐れていて、口に出すと恐いことが起こりそうで
口を閉ざして生活している時、勇気ある人がズバリと指摘する。
その瞬間「アー、もう逃れられない!」と言う諦めと、
その恐怖を受け止めてくれる人が現れたと言う安堵感が、
同時に身体中を巡る。
f0086169_14323769.jpg

山を登るときは夢中で登る。
頂きに立ち頂点を極めた満足感に浸るのは一瞬で、
次の瞬間下山が待ち構えている。
そして今は、その下山のときであると言っている。

現在の自分の立ち位置を客観的に指摘されると、
不安が少し薄らいで行く気がする。
しかし東北震災の余震が少し間隔が納まった今、
またしても、四年以内に都市直下型地震に見舞われると報道されている。
大昔から日本民族は、何度もその洗礼を受けては立ち直って来た。
しかし・・・・今回は如何に!
f0086169_16583794.jpg

   
   「異国のおじさんを伴う」   森絵都   文芸春秋

この方の作品は丁度1年前「抱擁、あるいは ライスには塩を」を読んで、
(凄い勘違いをしてました。この本は江國香織さんの本でした。)
機会が有ったら、もう1度何か読んでみたい物だと思っていました。

10の短編小説から成り立っていて、どの話も不思議で読んだ後
「ポカン!」と西日が射す居間に置き去りにされた様な
謂れの無い思いにとらわれてしまいます。
f0086169_14333127.jpg

中でも7番目の「ラストシーン」は、一気に読んでしまった。
映画「検察側の証人」を、飛行機の中で見ていたキューバに帰る
男性が、急に映画が消えたと言って騒いだ所から、
周りを巻き込んで話は進んで行く。
この映画を観た事がお有りの方ならお分かりになるでしょうが、
ラストのその又ラストを見ずして、この映画はThe endとは成らない。
飛行機が着陸状態に成ったので、仕方ない事だと、キューバに帰って
DVDで見ればいいと皆は同情しながらも、席に戻ろうとする。
f0086169_144309.jpg

その男性は、
「僕は仕事で今回初めてキューバを離れて、今仕事を終え帰れば
二度外国へ行く事等ないだろう。
DVD等殆どの家に無いし、勿論ウチにも有りません。
映画館が有ってもビリー・ワイルダーの作品が
上映される事はありません。」
この男性は、二度とラストのその又ラストを見る事は永遠にないのです。
隣に座っていた僕(主人公)は、観光でキューバに行く所だった。
だか訪問するその国の事を、何も知っちゃ居なかった事に愕然とする。
f0086169_1435168.jpg

表題の「異国のおじさんを伴う」は、最後の短編ですが、
幾ら考えても分からない。
この人らしい世にも不思議な話なのだろうか?
それともこの方の体験なのだろうか?
その分からない所が魅力なのかも知れない。
     
    「検察側の証人」
f0086169_2083288.jpg

[PR]
by magic-days | 2012-02-02 17:02
←menuへ