親鸞とジャム ふふふっ・・・

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親鸞・下巻読み終えました。

読み終わって思う事は、五木さんは今の世の中を
嘆いてこの本を書かれたのじゃないだろうかと言う事です。

時代は随分遡りますが(平家,源氏、後白河時代)
社会情勢は非常に似てます。

貧富の差が大きく、世の中は乱れ、親が子供を殺し、
子供は老親を見捨て、働く場所も無く、家も無く、
河原乞食がその辺を徘徊している。
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親鸞は山を下りて、念仏を唱えれば、どんな罪も許され
極楽往生出来ると唱える、法然上人の説話を百日通って
聞きに行きます。

弟子になり、接するうちに法然上人の思いの深さに感銘し、
生涯の弟子と成るのです。
知識がある者に、法話を説くのは簡単だが、
親鸞達は、貧しく学問も無い人々が相手であるから、
易しい言葉で分かりやすく話す事(易行念仏)の難しさに悩む。
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説く者が、本当に理解していなければ、相手も理解出来ない。
此処で悩む親鸞の姿は、五木寛之さんの姿の様な気がします。

この本で選択(せんじゃく)に付いて
こう書かれています。
『選択とは、自ら選び取ったと言う事だけでなく、
 むこうから選び取られた・・・・』
昔、教会に通っていた時、これと同じ様な事を聞きました。
『あなた方がキリストを選んだのでなく、キリストがあなた方を
 選んだのです。』
洗礼の日だったと思います。
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親鸞は、何事も自分の思った通りには成らない。
決められた事を受けて、信じてお任せすると言う事を
実践した人です。

この本の中でも、死体を川に流す場面が何度か出て来ます。
私は、遠藤周作の「深い河」の、その場面を思い出してしまいました。

親鸞は最後には、大きく成り過ぎた念仏に圧力がかかり、
死刑に成ったり、流刑にあったりして事実上信徒はバラバラに成りますが、
親鸞は流刑先の越後に妻と共に旅立ちます。
未知の地に念仏を広め、貧しく罪多き人々を
救うために夕焼けの空を眺めて浄土の世界を見るのです。
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昔日本にもこんな強い宗教があり、
それが、地位あるものとか、富者のためでなく、
貧しいが故に罪を犯した人や、身体を売って暮らす女に
救いの手を伸べた人たちが居た。

何故、今この日本にこの様な宗教がないのか不思議です。

この本は、一見娯楽時代小説のようであり、
また、迷う人々に指針を照らす小説であると思います。



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この何日か涼しい日もあり、夏の花の片付けなどし、
秋植えの花のために苗床を用意する。
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そして、夏の間もいで冷凍しておいたイチゴとブルーベリーで
ミックスジャムを作りました。
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観賞用のイチゴですから、粒が小さく去年は殆ど放置してましたが、
suukoさんだったと思いますが、「ジャムを作られたら?」と
助言頂きましたので、作りました。
250グラムで、430グラムのジャムが出来ました。
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早速ヨーグルトに混ぜて頂きました。
「おいしい!」
来年は、食用イチゴを作ります。(笑


(9/8  6.721歩   9/9 11.535歩  9/10 10.993歩)
 
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by magic-days | 2010-09-10 23:22
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