「親鸞・上」

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この「親鸞」も、自彊術のお教室で回し読みされて
私の手元に来たものです。
本屋さんで何度も見かけたのですが、
遂に買いませんでした。
回し読みと言う物は、自分が買って迄読みたいと思わなかった本が
巡って来ます。
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この本が巡って来たときは、五木寛之さんのご本と言う事で、
小難しく哲学的な内容ではないかと、
余り期待していなかったのですが、
読むうちに、我を忘れて一気に読んでしまいました。
幼年期から29歳迄の親鸞の青年期が、
瑞々しく描かれています。
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一途に仏の修行に励んでいた範宴(はんねん・親鸞仏門に入った時の名)が、
ある時、「仏とは何だ?」と言う疑問を持ちます。
誰にも言えない悩みです。
そんな事を口にしたら、笑われるか呆れられるか、怖がられるか、
全ての僧が、この問いに答える事は出来ないのですが、
絶対にそうと悟られない様に誤摩化しながら、
次のステップに上がって行くのですが、
範宴には、それが出来ません。
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それは一生を掛けて見付ける問いであるから、
これからもその問いを抱えて、
生きて行けば良いのだと師も助言するのですが、
納得がいかない範宴は、修行の場の比叡山を下りて、
雑多な人々の生活の場に降りて行きます。
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それは、僧としての栄達のコースから外れて、
聖として生きて行く事に成るのです。
頭で考えていた仏の世界から、身体で直に感じる仏の世界に
舞い降りて行ったと言う事でしょうか?

私には仏教世界の事が分かりませんが、
この本と平行して、外出時にバックの中に入れて持ち歩いている本が
今は遠藤周作さんの作品を編集した「神と私」です。
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まるで水と油位違うと思われがちな宗教世界の様ですが、
共通点が多い事に驚きました。
それは多分、遠藤周作さんと五木寛之さんだから、
こういう不思議が起こるのでしょう。

1つの事を深く突き詰めて行く事の難しさ、恐ろしさ
簡単な様な、常識で知られている様な事が、
ひとたび1人の人間を捉えた時、それは底なし沼の深み迄
引っ張り込みその人の人生迄食いつぶす。
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しかし、範宴の顔は喜びに溢れて行くのです。
9歳の頃から修行した比叡山を下りて、範宴がどのように生きて行くか
下巻が楽しみです。

9/3に鱗雲が空いっぱいに広がっていました。
未だ暑い日が続いて居りますが、慰めてくれる様に
時々秋の顔が覗きます。
楽しみな秋、こんなに待ちわびた事は有りません。


(9/3  7.250歩   9/4  8.927歩   9/5  9.657歩)
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by magic-days | 2010-09-05 22:14
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