北九州文学協会文学賞
以前ryoさんが、北九州文学協会文学賞を取られた事を
ブログに書いたと思うのだが、今回その受賞作品集が出て、
私にも送って頂いた。
受賞されたと伺った時から、読みたい物だと思っていたので、
嬉しかった。
受賞作品は、「小説」「エッセイ」「詩」「短歌」「俳句」「川柳」の
6部門から成って居り、
ryoさんは、「小説」の部門の大賞を取られたのだ。
作品「夏の残り」は、12ページの短編小説である。
読んだ後、懐かしい様な甘酸っぱい思いが胸いっぱいに
込み上げて来た。
主人公セツ子は、母親と2人暮らしをしていたが、
母が亡くなった後、同じ料亭の板前修業をしている12歳年下の
寛太が転がり込んで来る。
2人共孤独だったが、妙に気があって姉弟の様に見られる間柄だった。
それでもセツ子は満ち足りて幸せだった。
ところがある日、寛太は自分が持って来た古ぼけた冷蔵庫の中に
セツ子の好物を作って、出て行った。
もともと寡黙な寛太だったが、こんな大事な事を決めるのにも
何の相談も理由も言わなかった。
セツ子は悩んだ末に、寛太が若い女と住んでいるというアパートに行く。
そこで見た情景は、セツ子を打ちのめした。
一緒に住んでいたのは、両腕を失った飛び込み自殺を図った女で、
寛太はその時、その場に居合わせて、止めれなかった事で
自分を責めていた。
新聞に載ったその小さな記事を見ながら、寛太と話した朝の事が
甦って来た。
寛太が持って来た冷蔵庫が放つ雑音、寛太が買って来たメダカ、その水槽、
掃除機、小道具の扱いが旨く、それが2人の気持ちを良く表していると思う。
1日1日をゆっくりと自分の気持ちを確認しながら行きている寛太。
セツ子も同じ料亭の仲居をしながら、何の夢も無く、
この侭ただ年を重ねて行くだけの様な生活だった。
だが寛太が来てから、この子が1人前の板前に成った時
店を出す足しにしてもらおうと貯金も始めていた。
それでも、いつかこの子は出て行くのじゃないかという思いは、
何処かに有ったと思う。
このままで良いと思っていなかったのじゃないかな?
若い女も自殺するくらいだから、幸せではなかった。
この子は両手を失い。
寛太は料亭の板前に成る事を捨て、マグロ工場で働く様になる。
しかしこの2人は、もう孤独でなくお互いの生きる場を
探し当てた。
踏切場に居合わせた時から、この2人の運命の歯車は、
絡み合っていたに違いない。
幸せになるのに、こんな犠牲を払わなければ、いけない物なのか?
貧しくて懸命に生きてる者程、何かを捨てなければ、
生きて行けないのかと思わされた。
(作者はどう思ってあるかは解らないです。私の感想です。)
だからこそ、大事に自分達の生活を守って行くのだろう。
セツ子は、2人より強い女なのだろう。
出て行く寛太を泣いて止める事も出来なかった。
12歳年上と言う弱みもあったかも知れないが、
それでも、こんな日が来ると何処かで、諦めていたのかも知れない。
それでも、2人のアパートから帰って来て、寛太の置いて行った
冷蔵庫のコンセントを思いっきり引き抜き、
その後の静寂と夕闇の設置は、心憎い物があります。
ryoさんの小説を読んだ後、何時も私の中で登場人物が住み着き
生活している様な気がします。
今頃、セツ子はどうしてるだろう?
この文学賞の選考委員長は、あの「復習するは 我にあり」の
佐木隆三です。
by magic-days
| 2009-03-14 20:38